たねのちから、99.9各1本セット
私たちが2002年、最初に手掛けた日本酒「たねのちから」。
その誕生のきっかけは、ひとりの農家との出会いでした。山形県酒田市在住の米農家であり、農学博士でもある『荒生秀紀(あらおひでき)』。
彼は江戸時代の農書を読み、そこに書かれていたキーワードを元に、江戸期農法(通称:「江戸期荒生農法 *1)」により、酒米「亀の尾 *2)」を現代に再現している農家さんです。
私たちは、この江戸期荒生農法に出会い実践していく中で、在来種や固定種が本来もっている力、生命の力強さを目のあたりにしてきました。
何百年、何千年もの間、途切れることなくいのちのバトンをつないでくる種は、いのちのかたまりです。種には、いのちのちからがつまっています。
そこで私たちの最初の日本酒のブランドを『たねのちから』と名付けました。
その時から7年の時を経て熟成を重ねた、7年熟成「たねのちから」を限定販売いたします。
*1)江戸期荒生農法
まだ肥料も農薬もなかった江戸時代の米づくりでは、より自然のチカラを引き出す農法として導き出された、「中打ち八へん」という技術が取り入れられていました。
「中打ち」とは中耕のこと。中耕とは田んぼをかき混ぜること。
田んぼに苗を植えた後、生長に合わせ8回中耕を行います。ひとかきひとかき、丁寧にかき混ぜます。土をかき混ぜるたびに、土中バクテリアが活発化し、稲が生育に必要としている栄養素が生まれます。先人は試行錯誤のうえ、この方法を見つけていたのです。
この江戸期農法を現代に再現し、毎年研究・改良を図ったのが「江戸期荒生農法」です。
*2)亀の尾
亀の尾は明治時代に山形県の米農家、阿部亀治という人によって生み出された品種です。
その誕生は伝説的なものとなっています。ある年、山形県は冷害で極端に稲作が不良でした。ある日、神社にお参りに来ていた阿部亀治さんは、冷害で多くの稲が倒れている中、元気に実を結んでいる3本の稲穂を発見しました。その3本を持ち帰り、さらなる品種改良と量産化に成功します。
その後、その美味しさや冷害に強いことなどから、全国的な広がりを見せるものの、その栽培の難しさや大きく成長する品種の割には歩留まりが悪いなど、徐々に次世代のコシヒカリ、ササニシキなど、自身の子孫となる品種にその座を明け渡し、ついに1970年代には栽培が途絶えてしましました。
<商品概要>
7年熟成「たねのちから」(5,500円税込/720ml)
醸造会社:初桜酒造株式会社(和歌山県伊都郡かつらぎ町) 杜氏:河嶋雅基
江戸期荒生農法で栽培した「亀の尾」100%、精米歩合88.8%と、米の味がくっきり現れた味わい深い純米酒で、12年の熟成を重ねたことで薫り高い、深いコクと口の中でとろけるような味わいとなっています。
熟成玄米酒「99.9」
日本酒のルーツそのものは、古代にまでさかのぼりますが、今日の私たちが飲んでいるような、いわゆる「清酒(澄み酒)」の原型が誕生したのは江戸時代の後期といわれています。
そんな江戸時代の日本酒はどんな味で、どんな風につくられていたのだろう…?
江戸時代の日本酒を飲んでみたい…!
この素朴な好奇心から生まれたのが『99.9』です。99.9とは「精米歩合 *1)」のこと。それを商品名としました。
一般的に日本酒は「磨くほどに味が良くなる」と言われています。実際、酒米は米粒の中心にいくほど、香りが高くなると言われます。多くの日本酒の精米歩合は50%〜70%程度で、精米歩合60%以下ならば「特別純米酒」や、50%以下なら「大吟醸酒」と名乗ることができるのは、お酒好きの方なら皆さんご存じでしょう。
では、江戸時代の日本酒の精米歩合はどれくらいだったのでしょうか?
江戸時代の初期には人力による足踏み精米では90%程度、江戸末期に水車による大量精米技術が開発され、精米歩合は80%程度へ向上し、今日のお酒の原型となったようです。
しかしながら、庶民には上方の“澄み酒”はまだまだ高嶺の花であり、最も多く飲まれていたのは玄米酒に近いものだったといわれています。
『99.9』の料米は、江戸期荒生農法により20年間、自家採取で種をつないできたササニシキです。種は、自家採取を繰り返されることにより、原種に近づくと言われています。
この20世代を経たササニシキの“たねのちから”をあまねく伝えるため、また、江戸の庶民が飲んでいたお酒により近いものを求めて、ほとんど玄米に近い状態での酒造りに挑戦しました。
杜氏歴30年の河嶋氏が、初心に返って一つ一つの工程に取り組み、緊張感のある中にも、新しい発見と手ごたえを感じながら醸しだされ、さらに6年の歳月をかけて熟成を経て、『99.9』をお届けいたします。
*1)精米歩合
精米するにあたって、もともとの玄米の重量から、磨いて残った白米の割合を表すのが「精米歩合」です。 たとえば、玄米100gを精米して白米が30gになった場合、精米歩合は30%となります。 つまり、パーセンテージが低ければ低いほど「精米歩合が高い」ということになります。
<商品概要>
6年熟成「99.9」(2,750円税込/300ml)
荒生農法で栽培した山形県産ササニシキを、丁寧な洗米と十分な浸漬を行って、精米割合 99.9%で醸造し、7 号酵母により個性を引き出した6年の熟成を経た古酒です。芳醇な香りと上品な甘み、そしてフィニッシュの余韻が続く、「記憶に残る酒」です。
熟成純米酒「たねのちから」
私たちが2002年、最初に手掛けた日本酒「たねのちから」。
その誕生のきっかけは、ひとりの農家との出会いでした。山形県酒田市在住の米農家であり、農学博士でもある『荒生秀紀(あらおひでき)』。
彼は江戸時代の農書を読み、そこに書かれていたキーワードを元に、江戸期農法(通称:「江戸期荒生農法 *1)」により、酒米「亀の尾 *2)」を現代に再現している農家さんです。
私たちは、この江戸期荒生農法に出会い実践していく中で、在来種や固定種が本来もっている力、生命の力強さを目のあたりにしてきました。
何百年、何千年もの間、途切れることなくいのちのバトンをつないでくる種は、いのちのかたまりです。種には、いのちのちからがつまっています。
そこで私たちの最初の日本酒のブランドを『たねのちから』と名付けました。
その時から7年の時を経て熟成を重ねた、7年熟成「たねのちから」を限定販売いたします。
*1)江戸期荒生農法
まだ肥料も農薬もなかった江戸時代の米づくりでは、より自然のチカラを引き出す農法として導き出された、「中打ち八へん」という技術が取り入れられていました。
「中打ち」とは中耕のこと。中耕とは田んぼをかき混ぜること。
田んぼに苗を植えた後、生長に合わせ8回中耕を行います。ひとかきひとかき、丁寧にかき混ぜます。土をかき混ぜるたびに、土中バクテリアが活発化し、稲が生育に必要としている栄養素が生まれます。先人は試行錯誤のうえ、この方法を見つけていたのです。
この江戸期農法を現代に再現し、毎年研究・改良を図ったのが「江戸期荒生農法」です。
*2)亀の尾
亀の尾は明治時代に山形県の米農家、阿部亀治という人によって生み出された品種です。
その誕生は伝説的なものとなっています。ある年、山形県は冷害で極端に稲作が不良でした。ある日、神社にお参りに来ていた阿部亀治さんは、冷害で多くの稲が倒れている中、元気に実を結んでいる3本の稲穂を発見しました。その3本を持ち帰り、さらなる品種改良と量産化に成功します。
その後、その美味しさや冷害に強いことなどから、全国的な広がりを見せるものの、その栽培の難しさや大きく成長する品種の割には歩留まりが悪いなど、徐々に次世代のコシヒカリ、ササニシキなど、自身の子孫となる品種にその座を明け渡し、ついに1970年代には栽培が途絶えてしましました。
<商品概要>
7年熟成「たねのちから」(5,500円税込/720ml)
醸造会社:初桜酒造株式会社(和歌山県伊都郡かつらぎ町) 杜氏:河嶋雅基
江戸期荒生農法で栽培した「亀の尾」100%、精米歩合88.8%と、米の味がくっきり現れた味わい深い純米酒で、12年の熟成を重ねたことで薫り高い、深いコクと口の中でとろけるような味わいとなっています。